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昭和 7年11月 |
先々代会長の稲山喜兵衛が稲山機業場を創業。 |
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昭和29年 5月 |
現在の春日二丁目に本社工場を建設し、ユニチカ(当時の日本レイヨン)のナイロン織物の生産を開始。 |
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昭和37年 4月 |
帝人テトロンの指定工場となり、主として輸出織物の生産を開始 |
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昭和38年 1月 |
資本金1,500万円で株式会社に改組。稲山喜代二社長就任。 |
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昭和44年 2月 |
篠座町に篠座第一工場を増設し、準備センターとする。 |
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昭和44年11月 |
資本金1,950万円に増資。 |
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昭和45年 6月 |
資本金2,500万円に増資。篠座第二工場を増設。 |
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昭和46年 7月 |
ティック鰍資本金1,000万円で設立し、ニット部門に進出。 |
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昭和48年 3月 |
ニイナ鰍資本金1,500万円で設立し、縫製部門に進出。 |
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昭和50年 5月 |
ティック梶A資本金2,500万円に増資。 |
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昭和51年12月 |
稲山織物梶A資本金4,500万円に増資。 |
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昭和54年 7月 |
篠座第三工場を増設。 |
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昭和54年10月 |
オフィスコンピュータを導入し、事務、生産部門の電算システム化を計る。 |
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昭和55年 7月 |
WJL織布部門の子会社、亀城テキスタイル鰍資本金3,000万円で設立。 |
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昭和56年 5月 |
代表取締役社長に稲山昭雄就任、同会長に稲山喜代二就任。 |
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昭和63年 5月 |
高砂町に潟Jシークを資本金500万円で設立。婦人スカート縫製を開始。 |
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昭和63年10月 |
スポーツ事業部として、六呂師高原に「パラフィールド六呂師」(パラグライダースクール)をオープン。 |
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平成 2年 4月 |
WJL LW54(ニッサン)30台導入。 |
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平成 2年10月 |
織布〜検査間のLANを構築、無人搬送システムを導入。 |
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平成 3年 3月 |
エアージェットルームによる新合繊長短複合糸製織試験開始。 |
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平成 3年 6月 |
WJL LW54(ニッサン)24台導入。 |
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平成 4年 6月 |
代表取締役社長に稲山幹夫就任、同副会長に稲山昭雄就任。 |
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平成 4年10月 |
WJL ZW305(ツダコマ)32台導入。 |
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平成 4年11月 |
強撚ダブルツイスター34台増設完了。 |
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平成 4年12月 |
立体自動倉庫(高さ17m・823u)完成。 |
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平成17年 5月 |
篠座工場を本社工場に変更。
本社工場を春日工場に変更。 |
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平成25年 3月 |
春日工場を閉鎖。 |